教師プロフィール

岡田 吏笑(Rie)

意識的調整教師(ATJ広島校専任教師)
一般社団法人アレクサンダーテクニーク教師会理事・事務局長

長崎市生まれ・広島市在住

長崎市の最南端、山と畑に囲まれた田舎で生まれ育ちました。
人見知りが激しくちょっと内気な女の子でした。

幼い頃は、病気と怪我が絶え間なかったのですが、成長と共に丈夫になり
高校生の頃には、厳しいバレーボールの練習に耐え抜くぐらいの体力と精神力を兼ね備え、
人見知りも減り、外向的な性格へ。

高校生になっても腰痛、捻挫、肉離れ、肩の痛みと怪我とは縁が切れず・・・
自分と同じようなスポーツ選手の力になりたいと理学療法士の道を選択。

1993年
理学療法士の国家試験に合格し、目標であったスポーツ選手のリハビリを積極的に行っている病院へ就職。
休日は地域の中、高、短大や実業団のトレーナーとして日々スポーツ選手のケアに努めました。
2001年
日本体育協会公認アスレティックトレーナーライセンスをとり、
2004年
病院を退職。理学療法士として病院の仕事を掛け持ちしながら、
一般の方々に健康体操やダイエット指導、地域のスポーツチーム、国体、実業団など幅広く活動。
2007年
知人の紹介で横江氏のアレクサンダーテクニークワークショップへ参加。
2008年
コンディショニングルーム「Natural Balance」主宰
自分の体調不良をきっかけにフィシオエナジェティックテクニック、EFT、ヒーリング、アロマテラピー、ボディーワーク、食事療法などさまざまなセラピーや自然療法を学ぶようになります。
アレクサンダーテクニークも自分の体調を改善するために真剣に学び始めます。
2009年
マインドモデリングを受講したことが人生の転機となります。
2010年
ATJ教師養成コースにて、意識的調整(アレクサンダーテクニーク)教師を目指しトレーニングを開始。
何より自分と向き合うことが最優先の3年間を過ごしながら、徐々に心身の落ち着きを取り戻す。
2013年2月
ATJ教師養成コース終了。
広島を拠点に意識的調整教師として活動開始。

取得資格

  • 理学療法士(1993年取得)
  • 日本体育協会公認アスレティックトレーナー(2001年取得)
  • NPO法人日本メディカルアロマテラピー協会認定アドバイザー(2010年取得)
  • 活動実績

    これまでの主な活動

    職歴

    1993-2004 医療法人乗松整形外科勤務(長崎市)
    専門はスポーツ外傷・整形疾患
    子どもから高齢者まであらゆる年齢層の方々のリハビリに携わる
    2004-2009 朝永整形外科・高橋整形外科・田中クリニック・老人保健施設「崎望館」などで非常勤勤務
    2004- フリーアスレティックトレーナーとして活動開始
    2008-2012 コンディショニングルーム「Natural Balance」設立・主宰
    2013- 意識的調整教師として活動開始
    アレクサンダーテクニーク広島「ATJ広島校」設立・主宰

    スポーツ関係実績

    1995年 ユニバーシアード福岡大会本部医務班勤務
    2004-2009 長崎県国体成年女子バスケットボールチーム帯同トレーナー
    2005年 岡山国体 成年女子バスケットボール帯同トレーナーとして全国優勝
    2007-2014 十八銀行女子陸上部コンディショニング担当(長崎)
    2009-2011 十八銀行女子陸上部 実業団女子駅伝九州大会にて3連覇
    全国実業団女子駅伝連続出場

    講演・指導・活動実績

    公的機関での活動
    • 長崎県アスレティックトレーナー協会 理事
    • 長崎県サッカー協会 医科学委員会
    • 長崎県バスケットボール協会 医科学委員会
    講演活動
    • 長崎県体育協会主催 指導者養成講座 講師
    • 長崎県スポーツ医科学委員会主催 講演 「長距離選手のコンディショニング」
    • 長崎県医師会主催 「スポーツ傷害について」講演 ・対馬市理学療法士会 講演(長崎県)
    • 教員対象健康講座 長崎県立諫早東高校・西彼杵高校・盲学校など(長崎県)
    • 県立五島高等学校スポーツコース授業
    • NASスポーツクラブ長崎にて特別レッスン
    • 生活習慣予防カウンセリング等
    • 土谷病院 新人教育プログラムにて講演(広島)
    • 心の救急箱「ビューティダイエット」講演
    指導活動
    • NASスポーツクラブ長崎にて特別指導・カウンセリング等
    • 小学生から高校生までスポーツ傷害予防指導・トレーナー活動 (部活動・チーム指導多数)
    • 高校サッカーチーム・バスケットボールチームにてトレーナー活動
    (クリックすると表示されます)

わたしの自己の使い方

医学は日進月歩。理学療法士とアスレティックトレーナーの仕事をしていた時、新しい知識と技術を得るために、惜しみなく動力を費やしてきました。そのように自分を高めていくことが、患者さんのためだと信じ切って行動していました。それは仕事をやり始めてからのことかと言えば、幼い頃から私は自分のことを「できない子」「ダメ人間」だと思い込んでおり、だからひたすら練習する。自転車の練習も縄跳びもひたす繰り返す。バレーボールやテニス、ピアノの練習も・・・

100M走の走り方で10000Mを走ったらどうなるでしょうか?
どこかで息切れをするかもしれません。
どこかで不意に倒れてしまうかもしれません。
どちらにしても10000M走りきることは、ほぼ不可能でしょう。

幼い頃からおっちょこちょいで、生傷が絶えない子どもでしたが、本格的にバレーボールを始めてからも、捻挫、腰痛、肩の痛みなど、身体のいろんな部分を痛めました。自己の経験から、苦しい思いをしている選手が一人でも減り、選手が思いっきりプレーできるように手助けをしたい思いから理学療法士になりました。選手や患者さんのためには120%を尽くす思いで突っ走って仕事をしていましたが、自分のことは無頓着で、無意識に取り扱っていました。全力疾走もさすがに息切れを起こし、7~8年前どうにもならないような状態へ陥りました。日常生活に支障がでるような症状は、不安と恐怖が渦を巻き、どん底へ落ちた状態でしたが、そこから這い上がってみると、体調不良があったからこそ私がこうやって意識的調整教師になり、新たな道を歩き始めることができたと見ることもでき、私にとってプラスのエネルギーだったとも言えます。

頭がふらついて立っていられない、息苦しい、首が痛い、腰が痛い、手が震える、右半身血液が途絶えているような気がする(夏でも冷たい)、めまいがする、疲れる、イライラする、夜中に何度も目が覚める・・・・などなど

これら一つ一つの症状を解決するためにさまざまなセラピーを試みました。結果的に起こっている問題に対して分析し、一つ一つ解決すれば最終的に問題は全部なくすことができる。問題解決型の思考は、長年の仕事の中で培われたものであり、その信念の元に自分の不調も自分で治すんだと思い取り組んでいました。

しかし、その確固たる思考に疑問を持ち始めるような体験に出会いました。アレクサンダーテクニークのワークに参加すると、あきらかに症状が減りました。1回でもかなり痛みが軽減しました。というか、痛いことすら忘れていたと言った方が厳密かもしれません。しばらくすると少し症状は戻りますが、抱えていた苦痛は時間の経過とともに減る方向へ進んでいきました。しかし私が想像していたこととはまったく違い、直接的に問題に対してアプローチしているわけはなく、自分のやっている習慣に気づく。文字に書くと1行ですが、何が習慣なのか?何で習慣が問題なのか?初めの頃はさっぱりわかりませんでした。仕事は1日の生活の大半の時間を閉めているので、習慣との関係があるのかもしれませんが、それでも治療という仕事に携わっているので・・・??もっともらしく正しいように解釈しているだけで、まったくつじつまが合わない思考を繰り返していました。

私は仕事中、いつでも胸を張り堂々とした態度で、患者さんや選手と接していました。それが相手に安心感を与える最良の方法だと信じていました。しかし私がやっていたことは、首を固めながら、指先に意識を集中させ強く使うやり方をやっていました。もちろん手技によっては、指先を強く使うことが必要な場合があるかもしれませんが、それと同時に首を固め、背中や腕、さらには足の指先までも縮めることをやっていたのならば、自分が無意識にやっていたことかもしれませんが、やめる以外に手段が見つかりません。さいわい死にそうなくらい辛い症状だと思い込んでいたので、生きていくためには抑制しなければいけないと・・・
思い出したら、頭と首の関係において自分が自分に何をしているか?を観察し、頭が上にと思うことで、後ろに下に行くことを抑制することから始めました。仕事の分量も優先順位を決めて、「自分しかやれない仕事」「他の方に任せることができること」「自分がやる必要なない仕事」など
整理して仕事量も制限しました。その代わりに、どんな時でも自分のことを優先的に考えるように心がけました。私は少しずつ日々の生活においてセルフワークをすすめることで、時間の経過とともに徐々に症状は軽減し、心身共に軽やかになっていきました。

身体が回復してくると、また以前のように仕事をしたい、もっと勉強したいという欲が出てきました。使い方が変わったぶん、ずいぶんいい方向へ進んだとは言えますが、またパワフルに仕事を始めると体調を崩す可能性もあります。もっと効率よく仕事ができたり、情報を入手したいと思い、マインドモデリング(以下MM)を受講することにしました。ほしかった目標は速読ができるようになることで、大容量の情報を効率よく入手して仕事に生かしたいと思っていました。2日間の合宿形式のワークに参加し、速読の手法はすぐに手に入れることができました。もちろんそこからは練習が必要です。しかしそれ以上に驚いたことは、合宿が終了し合宿所の外へ出たときです。視野が広がり、目の前がぱーっと明るく見えました。
実はこの日はシトシト雨が降っていました。車の運転席に座り、メガネをかけるとメガネがきついと感じるくらい、見えるようになっていましたし、数年来感じたことがないほど、心身が軽くなっていました。

近視、乱視だった視力に変化が起こるとは、まったく予期せぬ出来事でした。もしもメガネやコンタクトをまったく使わないで生活することができたとしたら、もっと軽やかに楽しく生活している自分が脳裏に浮かび、その目標に向かってセルフワークを続けていきました。セルフワークの中では、見えないことに対する不安や恐怖を体感する反面、ぼやけた世界の中に居つつも、TVの内容も理解できるし、外を歩くこともでき、これまで通り普通の生活ができていることに気がつきました。1日の疲労感も徐々に軽減していき、時々あった右首の痛みも、更に減っていきました。

ワークが進むに連れて、私は強い固定観念を持って生きてきたことに気がつきました。
MMを受ける前までは、言葉では目がよくなったらいいけどね~と言いつつ、潜在意識では「近視は回復するわけがない」と思い込んでいました。
私の目の使用者は、世界中探しても私だけで私個人が自由に使っていい特権を持っているわけで、その私が潜在意識の奥底に「視力は回復しない」という信念を持ちながら行動していたとしたら、それは変わりたくないと言っていることと同じことになるでしょう。思い方が変わり、自分の心身の使い方が変わることでメガネやコンタクトを使わなくても、近視は治るでしょうし、そうなると初めから近視自体がないかもしれない。ただ自分自身の心身の使い方の問題であったに過ぎないと言うことになるでしょう。これまで「近視は治らない」前提の中で、ソフトがいいとかハードがいいとかメガネのレンズは?とあれこれ変えていましたし、変えるたびに度数はどんどん上がり、乱視の矯正もきかないような状態にあり、自分の目や心身の使い方が結果的に視力と関係があったなどとは予想もつかない発見でした。

私の場合、近いところを見るときは、右目が優先で、遠くを見るときは左目を優先的に使う習慣があり、右目は比較的固めて使っている習慣があります。このときから、すでに7~8年が経過しています。左右0.06だった視力も両眼で0.5~0.6程度は見えるようになっていますが、「MM」や「視覚から入る心身調整など」においていろいろ調べていくと、視覚とはいわゆる視力検査だけではありません。
物の考え方、見方などすべてが含まれてきます。脳の使い方、思考が変化し、1つに固執することなく、さまざまな考え方ができるようになったことは、数字では計り知れないほどの宝物を得ました。

始めの話に戻りますが、私が人生という道筋にいるランナーだとすると、
長い人生の道筋をコツコツ歩みながら、必要に応じて速く走ったり、立ち止まってみたり、
その時最適に自分自身を使えるようなやり方ができるようになってきました。

意識的調整は、どこまでいっても自己の使い方で、教える立場となっても、教えているときの自己の使い方においては、一生涯ワークは続いていきます。教師になる以前であれば、患者さんと呼んでいた方々は今では生徒さんと呼ばせてもらっていますが、女性、男性、お子様、ご年配の方々、プロアマ問わず演奏家、スポーツ選手、肩こりや腰痛、精神的なストレスなど・・・以前の患者さんが抱えていた問題と現在の生徒さんが抱えている問題は、大差はありません。しかし結果的に起こっている痛みや不安を取り除くことよりも、根本原因を取り除けば、結果もなくなりますし、もとから原因を作らなければ問題さえ起こりようがありません。見方や立場が変わったことで、現在は同じ対象者に対して「治療」をやってあげる立場から→「教育」として生徒さんに自分自身を意識的に調整する方法を教える立場に変わりました。しかし、生徒さんに教えている時間も教えていない時間も私の日常に違いはなく、いつでもこれからもずっとセルフワークは続いていきます。